自分の水子でなくとも供養すること


 自分自身に水子がなくても兄弟の系列に水子があったのを両親から聞いているので供養をしたいとか、また特異な例で、他人だがあまりの不幸が続いて何とかしてあげたいという例がある。本来なら特異な例については本人が気づくペきなのだが、神仏を信じない人であるため見るに見かねて他人が供養にみえることがある。
 兄弟姉妹でも他人でも供養を躊躇している場合は、他の人が供養をするのは好ましいことである。先にも述ペたように善根を積むということは、どのような形でもよいわけである.布施をする場合でも自分に力がなく物や金を布施できない時は、その布施をする心をもつこと自体が素晴らしい布施なのである。
自分が具体的な善行をしなくとも、善行を喜ぶ心が布施であるということであるから、自分以外の水子の供養であっても素晴らしい善行を積むことになり、その善行によって善果を受けるわけである。