正しい供養の方法


 水子には形がない。この世に生まれたなら名前や骨や遺品があるはずだが、水子の多くの場合は名前も骨もない。親すら顔も知らず.母の胸に抱かれる事もなく、父の慈愛も知らないであの世に去った存在である。
 そこで、水子とは元来、形のない存在であるからこれに形を与えることが必要である。存在をつくるのである。当院では一霊一基の位牌を作り戒名をつけ永代にわたって供養をする。位牌を作るということは霊のよるところを作るということである。仏教においても他の宗教においても、位牌のようなものに霊が宿ると考えられている。キリスト教においても十字架の碑を建てるようなものである。墓はだから同じく大型位牌といえる。塔婆も石塔も同じである。水子の場合、俗名がなく戒名のつけようがないので、経典の中
から文字を頂戴してこれを戒名として授けるのである。そして、位牌ができたら入魂し、形のなかった水子の存在を形あるものとして天寿殿霊位堂にまつり、毎朝法要を行い永代にわたって供養するわけである。なお当院では水子供養の申し込みについては、来院される方だけではなく郵送の申し込み者も多く、多忙な人、遮隔地の人、欧米各国からの申し込みもある。郵送の場合は到着と同時に各霊ことに法要を行い廻向する。直接来院の場合は参列をしてもらい法要を行う。いずれも三カ月有余で位牌ができるので再び
入魂し法要をする.。さて、この現実から水子供養における親の悩みは何であるかを分析すと、平素は顧みることはなくても心のどこかにわだかまりとなつて残り、最終的にほどこでどのような供養をしていいのかわからないということらしい。この悩みを救うために当院では全岡的な規模で広報活動をしている。その結果、水子供養が見直され、思い当たる人は無論のこと、全国各寺においても認識され始めたのはまことに喜ばしいことである。しかしなから風聞に接するところによると、あまり水子供養としてはかんぱしくない供養の方法をとっている場合もあるようである。水子供養料として法外な供養料を請求たり、商売のように考えているのは悲しいことである。水子供養の場合はやはりそれに適した方法で行って貰いたいものである。当院ではできた水子の位牌は原則として当院で永代供養をすることにはなっているが、持ち帰りの希望があれば、戒名を当院の霊名過去帳に残し、これをもって永代供養を行っている。
 ところで七万霊に及ぶ水子供養の中から統計をとると、まず第一の影響に同系列の子供があげられる。現在の子供の情緒障害など難しい問題をかかえた背後には必ずといってよいほど水子があるという事実がある。これには母親、父親が異なっても影響度があることを認めざるを得ない。ある男性が過去に女性と関りをもつて水子があった場合、現在の妻との子供も同系列として関係がある。逆の場合も同様で、 一方の親が違っても子供には変わりない。この影響はまさに実例をみていて不思議というほかない。第二の影響は両親である.夫の仕事がはかばかしくない、うまくいったと思うとまた悪くなるというくりかえしをしている人。またしぱしば事故に見舞われたり病気の絶え間ない人。女性の場合は常に頭痛があったり、足、腰などが痛いとか。自覚症状がありながら医師の診察を受けても何でもないという例が圧倒的に多い.当院に到着した礼状の中から実例を拾ってみると、夢の中に子供が出てくる、子供の泣き声が聞こえる。たびかさなって水子にした数のローソクが立っている夢をみるとか、怪奇現象を訴える人さえある。中には人工中絶してからノイー-ゼになったとか熟睡できないなどの訴えがある。そして水子供養をしたことによって、それらのことが除去されたという礼状が数多、届いている。霊的な諸現象は、その人だけしか知ることができないかも知れないが、現実にそれがとり除かれたとは喜ばしいことである。心理学的にみれば、いずれも深層心理の悩みがとり除かれたために、 これらの現象がなくなったのである。しかし心理的であろうと肉体的であろうと、その現象がとり除かれたということは供養されたかいがあったというものである。仕事がおもわしくない人が供養されてからトントン拍子に出世し、肝臓の病も全快し、息子が国立大学に入学するという二重三重の喜びに感謝されているのもある。第三の影響は末代である。孫がおかしくなって供養に来られるお年寄りもおられる。若い頃の水子の影響がいざ子供を産みたいと思った時に災いして子供が出来ないことに気がつき、供養をしてから懐妊したという例は数多い。直接肉体的につながっている母親の体が健康を回復した例も数限りなくある。不運に悩まされている人の背後に供養されてない水子が必ずといってよいほどある。それを供養することによって素晴らしい結果を得、運を開き幸福を手にしているということは何を意 
味し何を物訴るのであろうか。