六種供養


 仏前に水、塗香、花、焼香、飲食、燈明などを供えるのが通例であるが、これには、それぞれ意味がある。この六つを供える事を六種供養といらが、仏教の徳六波羅密とも関係をもっている、すなわち水は布施行であり、塗香は持戒行であり、花は忍辱行であり、焼香は精進行であり、飲食は禅定行であり、燈明は知慧行を意味している。
 そして一つ一つの意味であるが、水は一切のものに差別をつけずまさに仏心そのものである.万物を潤し成長せしめ、不浄なものを洗い清めるのも水である。このようなはことから仏の大慈、大悲の心に通じ水すなわち闍伽すなわち布施行に通ずるのである。
 塗香とは手や身体に塗って清めるお香のことである。仏陀の国印度では、熱帯国であるため、しばしぼ生活面において悪臭を発する。そこで、塗香はこの熱苦を去つて清涼ならしめる働きをするのである。塗香には清浄なる性徳があるということで人間の煩悩の熱苦を除いて清涼にすることに通じ、戒を保つということにもなるので持戒行と一致するのである。花は四季いずれの時でも人々に心の安らぎや喜びを与える。その時のその心を日常の生活に移したら、どんな事をいわれてもしむけられても花のごとく和やか忍ぶ心が持てるというわけである。六波羅密経には「忍辱を持って華鬘となし、その身を荘厳せよ」とあるようにその和やかな忍ぶ心に通じるのである。
 焼香とは仏前で香を献ずることである。この香は香ばしい香りをどこヘでもあまねくおよぼし、つきるまで燃え不浄をのぞくといつ三つのことを備えている。人間が日頃修養するにもこの焼香が最期まで焼けるよらに辛抱強く努力が必要である。このようなところから精進行とするのである。
 飲食とは御飯、お菓子、餅、果物などをいう。.人間は空腹になると蕗ちつかないし、喉が渇わくと水を欲する。時には人の物を盗んででも飲んだり食ベたりするものである。ところがこの空腹を満たし、渇きを潤すと心身が静まるものである。修養するには心を静かに雑念が起こらぬようにすることが肝要であるから、心が乱れず精神続一することを禅定というように、落ちついた心をつくる意をもって飲食を禅定行とするのである。燈明を点ずると薄暗い所は隅々まで明るくなる。朝、陽が昇ると隅なく光がおよび、万物はありのままの姿を現す。まさに仏陀の説かれる知恵というものはこの光明によって、あまねく迷う人を救い、隅々までいきわたらせ、人間に希望を支えるともいえるところから燈明を知恵としたのである。