追善供養の心得
  

 追善供養を行うにあたつて心得なければたらないのは.真心をもって行うということである。客人を迎える時、心のこもらぬご馳走を並べても、見えすいたお世辞をいっても喜ぶはずがない。山海の珍味がなくても心こもった手料理で迎えるなら、客も喜ぶに違いない。このように追善供養を行う場合も客人を招待するような心がけが必要である。
 敬虔な態度で仏さまをおまつりする必要がある.僧侶が営む各種の法事もその次第は常にこの精神に貫かれ重んぜられているのである.仏前において、上品の礼をもって敬々しく礼拝をするというこは、人間としてまず仏さまに最も丁寧な礼を最初にすることを意味している。
 種々の作法もすべてこの精神によって構成されているわけで、法要は無論のこと.平時の仏事の心得も、この心をおろそかにしないことである。
 お供えするすべてのものは清浄なものを用意し、仏飯を誰よりも先にお供えするということもこの様な意味からである。この心を忘れていては、仏事における功徳は減退し仏さまや霊も喜ぶずもない。このように追善供養を営むことによってご本尊や霊に通じて苦しみもだえている霊を良き世界に引き上げることができるのである。成仏できるとともに施主やゆかりを持つ者も信心が倍増して、功徳善根を積み、仏典によれぱ全部の功徳が七とすればその霊は七分の一を得られ、後の七分の六は生きている者、即ち供養を行った者が得ると説いている。これを七分獲一という。