御布施について


 御布施というと、僧侶に対する報酬、謝礼という考えが一般的でぁるが、考えの基本としては布施と書くごとく自分の持てる範囲で他人に施しをするというところにその.本義がある。無財の七施で、法施、無畏施、財施というように、単にお金ばかりでなく、いろいろな形の布施とい‐うものが仏教ではあるといわれている.法施は仏法を説いてきかせることをいい、無布施は安心を施すことをいい、財施は金品を施すことをいう.施すとぃっても他人に物をくれてやるという考えではなく、有難にい仏経の教えを頂戴した感謝の心の表れと考えることである。
 ところで御布施ほどれほど包んだらいいものか迷う場合が多い.もちろん定まつた額などないただ今述べたように感謝の気持で献げるものであるから、惜しみながら出すようでは、本来の意味を失うものである.特に時代離れした低い金額では、むろん僧侶をも軽視することにつながり、ある程度の標準的な金額ということもも必要である。
 葬儀社の責任者に率直に聞くのも一方法であるが、 一つの目安として金額を書いてみたい。葬儀の導師の場合、七万円から十五万円、式衆の場合は、それの半額と考えれぼいい.飲食物を出さない場合ほお謄科として三千円から五千円を包むよ,つにしたい。 (アンケートの結果にょると三十万円〜五十万円というのも数件ありこの点は葬儀社と率直に相談することである)
 法事の場合は、 一万円からΞ万円ぐらぃ、逮夜参り.の場合は、Ξ千円から五千円程度仏壇開き、その他特別に頼む仏事に関しては、一万円から三万円と考えてよい。考え方にょれぼこれらの金額は、ある人にとつて.高額と考える場合もあろうが、僧侶側から見れぱ、葬儀というものは最低半日を費やし、ときによりては一日の大半を拘束されることになる。
 また、葬儀のための心積もりだとか準備、特に導師にいたつては随伴の僧侶の謝礼など表面的には見、えない労苦と費用がかかつているものである。だからこれらに報いることはむろんのこと、逮夜.参りも依頼しなければならないので、それなりの御布施は必要なことである。