座禅の心構え


 暇があるから座禅を組むとか、することがないから座禅を組むというような心で座禅を組むものではない.
 座禅とは今この時をしっかり捉まえることである。座禅をしようという積極的な心が働かなけれはならない。気塊がなくてはならない。
 座禅をしていると煩悩が追っかけてくる.払うのに苦労をする場合があり、肝心の自分を見失ってしまう場合がある。しかしそれはしいて払うこともなく、そのような感じが起こることも嫌わず、ただ起こるにまかせ、滅するにまかせることである。あるいは逸に、初めのうちは一つのことに想念を凝らし、他の雑念を除去することである。
 座禅は見せ物ではない。近年座禅をすると格好良いとしたり、人格者と評価されることを期待する人がいる。特に外国人においては、神秘的な観念でとらえ、超常現象でも起きるような錯覚を起こしている者がいる。日本人でも座禅を組むことについて、正直いって神秘的にとらえがちである。
 また警策の音を聞いたり、側目にそれをみた人は、座禅というと一種の恐怖感を覚えるものである.そのために参禅を極端に嫌う人があるが、座禅をするということは、心を解き放つこ
とであるから、こだわらないことである。座禅は見せ物やショーではないので、そのような気持を持たないことである。ただ座るということである。
 昨今は一種変わった乗容法として、ヨガが盛んになり禅もそのような観点から、一種の流行、ファッショソとしてとらえている老もいる。しかし実際に禅を組む者は、そのような風潮にのってはならない