観世音菩薩


 不動信仰と同様、もっとも庶民に広く信仰さLれているものに、観世音信仰がある。それを物
がたるかのように坂東三十三カ所、西国三十三カ所、秩父三十三カ所、房州三十三カ所、会津
三十三カ所と多くの霊場がある。
 観世の観というのは知恵の光で、すべてを見通して知りつくし、人ぴとの願いをきかれる
というところからついでいる。観音には聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、不空絹索
観音、如意輪観音を数え、これを六観音といら、不空絹索観音の代わりに准抵観音を教えるこ
ともある。またこれをあわせて七観音ともいう。
 千手観音は一名大悲観音といって、千本の手をもっているはずであるが、多くの場合四十本
であらわしている。これはそれぞれの手が二十五の役割を成し、二十五願の迷いの世界を代表
させて、四十本で一千の迷界を超脱することをあらわしている。
馬頭観音は頭の上に馬頭をいただいているもので、馬のように四方を自由に駆けめぐれる徳
をあらわしたものである。
 十一面観音といらのは、仏の位に到達せしめることをあらわしたもので、最高完全な人格を
得るようにして下さるのが、その観音といわれている。
 不空覇索観音は一切の衆生を布施、愛語、利行、同事という四種類の網で救済しつくす観音
のことをいいその網は必ず確実にとられるというところを意味している。
如意輪観音は何事でも思いのままに生むという珠、如意珠と転輪聖王の七宝の第一である金
輪とを兼備している菩薩で、どのような衆生の願いも思いのままに満たしてくださる徳を有し
ている。
 准抵観音は女性の観音で、ふつう九対の手とΞ目の面を有しているが、准抵とは正常という
意味である。三目は、感、業、苦の三種を救う慈眼のことである。